第7回 寝台夜行列車の話をしよう。 大連から長春まで乗車した寝台夜行列車での話をしよう。 中国の列車に乗った経験はそんなにない。今までに乗った区間は上海から無錫、佛山から香港、それと今回の大連から長春までの3路線である。この大連から長春は過去6回ほど乗っているが、特別快速か快速の差こそあれ、すべて寝台に乗っていてその殆どが厳冬期であった。 大連から長春の路線距離は何キロあるのか知らないが、約8時間かかる。夜行寝台で、ほとんど真っ暗なトウモロコシ畑の中を進むので景色を楽しむということはなく、「どんな人と8時間関われるか」ということが列車に乗る楽しみだ。今回は軟座という日本でいう、A寝台昔なら一等寝台を買ってもらっていた。切符は7日前から中国国内の駅か旅行代理店で購入出来る。 軟座寝台車両は一部屋に2段ベッドが二つあって、寝ないときには下の段に向かい合わせに座って話が出来る車両だ。寝台車両、普通車両ともに軟座と硬座がある。予約していた軟座は完全に一部屋になり通路側のドアを閉めることが出来る構造になっている。 厳冬期、この路線の外気温はマイナス25度にもなるので、すきま風でも入ろうものなら、寒くて眠れない。硬座寝台車両は一車両全部が3段ベッドになっていてドアが車両の端にしかないために、車両を移動する人がいたりするとドアの開閉の為、どうしてもすきま風が入ってしまうのだ。 この硬座寝台車両に何年か前に一人ボッチで乗った経験がある。春節前の混雑期でどうしても軟座の予約が取れなくて硬座の3段ベッドの真ん中だった。ちょうど大連の会社で失敗していたときだったし、誰もサポートしてくれる人もなく一人で夜汽車に乗ったときは心細かった。 飛行機に乗ればこんな思いもしなくて済んだんだろうけど、卑屈になって自分自身を追い込んでいたのだと思う。なぜかシドニー・ポワティエの映画で「夜の大走査線」のシーンが浮かんでいたものだ。この映画を見たときからリズムアンドブルースが身体に染込んでいったのだと思う。3段ベッドの上はお婆さんと孫であろう小さな子供が一緒、下は太ったおじさんであった。小さな子供の泣き声とドンドンと暴れることと、おじさんのイビキで殆ど眠ることができなかった。落ち込んでいたのと眠れないので通路の折りたたみ椅子に座って、真っ暗な外を見て、一人旅の得も知れない感傷に浸っていた。外見はどこから見ても日本人だし、この時ばかりは一人でいるということが恐かったが、でも、声も掛けられずに一人にしておかれたことが、逆に周りの優しさみたいなものを感じた思いがある。 去年NHKの番組で「関口知宏の中国鉄道大紀行」という番組が放映されていた。列車の中の出会いを中心に進められていたが、テレビクルーがカメラを持って取材をすれば、そこには非日常の状況があって、普段では考えられないようなことが起こっていたのではないかと思っている。乗る列車、乗る列車で色んな出会いがあるとは思えないのだ。あれはあくまでテレビ用だと思うし、まぁー人懐っこい人も居ることは確かなんだが。 今回の出張は滋賀県立大学留学生の黄さんと一緒だった。黄さんは通訳と3D関係のアルバイトをしてもらっている。一人旅での緊張感もないし、中国語で悩まなくても良いので、快適な旅である。大連から長春の特別快速は大連を22時07分に出発する。大連駅には空港の手荷物検査と同じくX線スキャナー検査がある。すべての荷物を検査される。鉄道は飛行機と違って、人も荷物の量も多いし、検査官も真剣に見ている風でもないし、何の意味があるのだろうと思っているが、考えても仕方ないので、これも改札で切符を切ってもらうのと同じ儀式だと思うようにしている。 大連も長春もここ何年かで、駅舎が改修されて大きく奇麗になり、電光掲示板がしっかりしているので、どうやって列車に乗れば良いかわからないということが無くなった。前なら狭いところに人がごちゃごちゃいて、表示がしっかりしてないから、右往左往するという具合で、訳の分からない日本人が乗れるような感じは無かったが、前から比べると大きな進歩だ。 だいたい発車の15分位前になると改札が開き、切符を切ってもらって入場する。ホームを間違えないように列車ごとに誘導してくれる。大きな荷物を持っていると大変なのが階段である。エレベーターとかエスカレーターというような気の利いたものはなく、階段を使わなければいけない。腰の悪い者にとってここが一番きつい所だ。ホームに降りて、切符に書いてある車両の前に行けば、車掌さんが切符の確認をするついでに荷物を列車に載せるのを手伝ったりしてくれる。いろんな制服を着ている人達のなかでは、すごく親切である。 今回の大連から長春までの一部屋4人の構成はすべて男性であった。黄さんと出発から12時前まで日本語で話していたが、他の中国人乗客は日本人ということでの特別な反応はなく、挨拶もしたかどうか分からないほどで、日本か私達に興味が無ければ会話は生まれない。軟座の寝台列車は4人一組の個室で、部屋の中から鍵もかけられる。今回はたまたま男ばっかりだったが、女性も一緒のときがあり、日本だったら変に気を使わなければいけなかったりするが、そこそこ年配の中国人女性はおおらかなもので同室に男性がいても着替えもするし、スラックスを脱いでタイツ姿の光景を何度も目撃している。 女性専用車両を作らなければいけない国と、寝台列車で同室に身も知らない男女が一緒になっても問題が起こらない国の違いを感じるのだが。 中国の列車は駅などで停車しているときには、トイレが使用出来ない。始発駅などで停車しているときなどは、車掌さんが鍵をかけていて使用出来ないようにしている。今の日本の車両はタンク式になっているから、いつでも使用出来るが、中国の列車は直接線路に落とすので、そのものズバリが線路に落ちていると「ちょっとね」という所であろう。明るいときにトイレに入ると線路と枕木が見える。日本も昔は同じだったし、公害ならず黄害と呼ばれていたのを思い出した。 大連から長春に行く寝台列車は20時台に内モンゴルに行く列車がある。これは特別快速ではなく快速である。同じ長春に行くにも特別快速よりも少し安かったように思う。特別快速は大連から長春まで停車しないが、この快速列車は良く止まる。列車が動いていると揺り籠のような感覚で眠られるのだが、停車すると揺り籠を止められた赤ん坊が泣き出すように、起きてしまう。 この列車は内モンゴルが終点で、乗客はいろいろな所で降りる。車掌さんは車両に乗っている乗客が何処で降りるのか把握するために、すべて切符を回収する。その時に身分証明書かパスポートを提示する。回収した切符は寝台番号のホルダーに入れて、どの寝台に寝ている人が、どこで降りるかを把握している。この快速列車の場合、長春には早朝5時過ぎに到着するので、乗り越さないように個別に起こしてくれて切符を返してくれる。最初、切符を取られるので訳が分からなくて、どうなる事か心配だったが、起こされ、切符を返してもらって、ようやくシステムが理解出来た。特別快速の場合は、直通で停車する駅が無いので、車掌さんは切符と身分証明の確認だけである。 帰りの長春から大連までの寝台列車の旅は、楽しいものであった。 行きと同じように軟座寝台列車の一部屋4人だが、僕たちがこの部屋に入ったときには若い女性が一人でベッドに腰掛けていた。黄さんと日本語で話していたら、日本語で話しかけられたのでびっくりした。それも流暢な日本語だったので2度びっくりした。 お名前は趙さんで、日本に留学経験がある。九州の日本語学校、大学、大学院で勉強をし、卒業後は日本で就職せずに長春に戻り、日系自動車会社の通訳として3年間働いていたそうだ。今回、この列車に乗り合わせたのは、日系自動車会社から中国企業と日本企業の合弁コンサルティングをする会社に再就職して、初めての出張という事だった。日系自動車会社の通訳の待遇は良かったようだが、通訳では自分の実力を試せないという理由で、再就職。男女を問わず中国でキャリアアップを目指す人達にとって、自分の実力と評価は付きまとうものだし、高待遇だけでも繋とめられなくて、その仕事を続ける動機付けは能力の高い人ほど難しいと思った。日系自動車会社で通訳としてのキャリアは、日本のトップ企業の社長達に対して言葉遣いから態度まで、失礼の無いように経験を積んできただろうし、通訳という関係で、個人の懐深く入っている場合もあり、アシスタントの能力もかなり磨かれていたんだと思う。そんな事を感じさせる敬語使いが出来る人は、そんなにいないと思うし、日本人でもトップ企業の会社風土を理解してないと難しいかもしれない。そんな趙さんと夜中まで話せたのは、寝台列車のおかげだと思う。 趙さんは日本に7年間滞在をしていて、青春期という多感な時期を日本で過ごしている。この間知らず知らずのうちに日本の文化、システム、日本以外の海外の状況がインプットされている訳で、中国に戻ったときに、そのギャップはどうしたのという事を聞いてみた。短期的に中国に戻ったときには、中国の嫌な所ばかり見えてきて、なんで中国はこうなの?と、ずいぶん思ったらしい。でも、中国に戻る事になったときには、いっさいその考えは捨てたと言った。中国で生活するには、なんやかんや言ったって、それがどうなるものでもないし、ギャップにこだわれば生活しにくくなるということだ。彼女は帰国して結婚したが、帰国前にご主人となる人に、日本という文化を3ヶ月くらい体験してもらったそうだ。「彼女自身の考えは、こういうバックボーンがあるから」ということを理解してもらう為に。社会的なものは見て見ぬ振りをすればやり過ごせるが、一緒に生活する人の場合は、純粋に中国文化の中だけで育った人であれば、同じ中国人同士といえども噛み合わないものが多いのかもしれない。彼女曰く、理想は留学体験者同士が結ばれるのが良い。彼女は大連で仕事を済ました後、その日の夜行寝台で長春に戻ると言っていた。自分の可能性を追い求めて、キャリアアップして行く姿は、往々にして嫌な面が出てくるものだが、それを見せない所が素敵な人であった。 大連、長春間を飛行機で移動すれば、ほぼ1時間だ。この1時間は便利で楽が出来るが、ただの移動だけに終わってしまうことが多い。 人との出会いがあれば旅はより楽しくなる。中国夜行寝台列車は自分の波長に合っていると思っている。 2008年5月 2008年1月に利用した内モンゴル行き快速寝台列車 快速寝台列車の通路 快速寝台列車のドア付近 人なつっこい快速寝台列車の車掌さん 快速寝台列車の通路 快速寝台列車の室内 2008年3月に利用した長春行き特別快速寝台列車 長春駅の様子 長春駅の様子 長春駅の様子 長春駅の様子 長春駅の様子 長春駅の様子 長春駅の様子 長春駅の様子 長春駅の様子 Tweet